フリーワンライ94 「三分、待てど」






 「ラーメンが…出来上がってない!麺がかたい!」
 彼女が立ち上がって叫び、アパートの壁と天井を揺らしたのは午後十一時半のことだった。
 「うるさい」
 同居人を窘めたほうの彼女はしかし眉根を寄せたまま、テーブルに設置してあるUVレジンのライトを体育座りで覗き込んでいて、どうやら本気で注意している訳ではないようだ。
 「おかしい、三分経った筈なのに全然レジンが固まってない。べしゃべしゃだよ、べしゃべしゃ…」
 その証拠に、何やら一人でぶつぶつと呟いている。風呂上がりの折、簡易的にピンで留めた前髪は既に癖となって明日の朝に多大な影響を与える兆しを見せているが、本人は今のところそれに気づいていない。
 叫んだほうの彼女は自分に構おうとしていないその態度が気に食わなかったらしく、三十秒前に意気揚々と割った箸で相手を指した。
 「レジンに対してべしゃべしゃはおかしいだろ!固まってないなら普通とろとろとか、べたべたとか、言うだろ!」
 悲しい哉このアパートの一室には二人の女性しか居なく、突っ込むところはそこではないと、突っ込む人間はいない。
 機械を覗き込んでいたほうの彼女は漸く顔を上げて、相手の箸と顔を交互に見た。
 「言い方がいやらしいな、欲求不満なの」
 「は!?」
 全体的に声の大きいほうの彼女は、大きな声で一音発声してカップラーメンを取り落とした。三分前にお湯を注いだ容器は、床に当たった衝撃で蓋が開いて中身が飛び出て部屋のカーペットまでも汚す、かのように思われた。実際カップ麺を注視していた二人はそうなると頭で判断して注視していたが、二人の目の前で、カップラーメンはごとりと音をたてて床に転がった、だけだった。一度半分ほど開封して出来た隙間からは水分の溢れ出す気配はなく、まるでお湯を注ぐ前の状態のようだ。
 「…ねえ、まさか、ラーメンが出来上がってないって、お湯を注ぐのを忘れちゃった!とかそういう落ちじゃないでしょうね。つまらないと思う」
 前髪に癖の出来たほうの彼女はじろりと相手を睨みつけながら言う。
 「いや、湯は注いだ…と思う。あれ?」
 途端に相手はしどろもどろになって、目も泳ぎ始めた。
 「あんたのことずっと考えてたから、記憶が曖昧になったのかも…私はやっぱり欲求不満なのか」
 「いやありえないでしょ」
 「何でだよ!」
 先に私が欲求不満だって言ったのはあんただろ、などとぼやきながら、彼女は出来上がらなかったカップ麺を拾う。既に二人が確信していた通りその中に水分の入った跡はなかった。
 「よし、では次にレジンが固まらない謎を共に解こうではないか、小林くん」
 「何だよ、急にキャラ変えんなよ、小林って誰だよ」
 努めて反抗的に突っ込みを入れながら、彼女はカップ麺を持ったまま機械に歩み寄った。中の空洞を覗き込んだものの、中は暗闇になっていて何も分かったものではない。
 「え、これ明るくない。スイッチ入れ忘れちゃったってだけじゃ…」
 と、言いかけた彼女の視界が急に暗くなった。
 「は!?」
 癖となってしまっている素っ頓狂な声を上げた彼女が、相手の掌に両目を防がれたのだと気づくまでに、三秒。
 「三分待って」
 闇の中に彼女の声がする。
 「三分経ったら、恥ずかしさも収まる、顔が熱いのも治る、気がするから」
 「…湯を入れ忘れた私をつまらないと言ったよな、確か」
 両目を塞がれたままの彼女は他愛のないことを口にするように、しかし面白がっているのを隠しきれていない様子で呟いた。
 「言わないで!」
 「…私が、今日あんなこと、言ったからか」
 「言った自分だって動揺してる癖に。何がラーメンが出来上がってない!よ」
 「あんたが答えてくれないからだろ」
 「…」
 「なあ、三分経ったら、良いのか悪いのか、答え教えてよ」
 「…やだ」
 「は!?」
 三度声を上げた彼女の視界は、相手が覆いかぶさって来たので更に暗くなった。





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