フリーワンライ91 「灯台躑躅」

※自主練編



 灯台が故障したようだとの連絡を受けてツナギ姿の修理屋二人がその岬に向かったのは、明るい昼下がりのことだった。
 「…履き違えてるよなあ」
 修理屋の先輩は、コンクリートの白い灯台を見上げる距離まで近づいたところで足を止めてぼそりと呟いた。
 「えっ、何か言いましたか、先輩」
 修理屋の後輩は丁度耳を掻いていたので相手の言ったことが聞き取れなかったらしく、能天気な声を上げて問うたが、先輩は取り合わずに灯台へと歩みを進めていく。後輩はまだ耳の痒みが気にかかるらしく、今度は工具などの入った大きな鞄を置いて、軍手を脱いで一本指を耳の内部に触れさせた。
 「何か、詰まってる気がするんだよなあ。今日は波の音も先輩の声も聞こえない」
 「お前が俺の話を聞いていないのはいつものことだろ。ほら、とっとと片付けるぞ」
 「あっ、待ってくださいよお」
 白い扉に鍵を差し込んで、先輩は出入り口の扉を開けた。ぎぎぎぎという大仰な音に続いて、彼は迷いのない一定の足取りで灯台の中へと進んでいく。後輩も見失うまいと、荷物を抱えて灯台に走り込んだ。
 「うわっ、何だこれ」
 後輩が声をあげたのは足元を見たせいだ。本来ならば日の光が届かず、真っ暗闇になっている筈の床が、一面濃い桃色で埋め尽くされている。しかし暗がりに目が慣れていないために、暫くは沈んだ紫色に二人の目には映っていたのだが。
 「躑躅の花だ」
 「躑躅」
 成程、よくよく見てみれば花弁だった。
 後輩は花を拾い上げてまじまじと観察した。
 「お前見てなかったのか、本来光源になるはずの上の部屋、まっピンクだっただろうが」
 「まじですか、全然気がつきませんでした」
 「耳の次は目までお陀仏かよ…まあいい、上の部屋、行くぞ」
 先輩は灯台の中に溢れかえった花という状況には無頓着に、目の先にあった階段を上っていく。後輩も遅れまじと続いたが、灯台の壁に沿った螺旋階段を埋め尽くすように花は落ちていて、踏みつけて滑ってしまいそうになる。後輩の足取りは自然と慎重なものになった。
 大体、重い荷物を持たされているのに、と後輩は愚痴っぽく思う。
 何故先輩はいたいけな後輩を放ってずんずん先へ進んでしまうのだろう、と。
 二人が上っている間にも濃い桃色をした花弁は、どこからかはらはらと降り注いでくる。一度だけ後輩の肩に当たったが、それは彼が予想していたよりも重厚感があって痛みを覚える程だった。
 「先輩、何なん、ですかね、この、花たちは。誰かの、悪戯?」
 進むごとに段々と息を切らしながら、後輩が声をあげた。
 「さあな。上に行けば分かるだろうよ。それにしても、履き違えてるよな」
 「何のこと、ですか」
 ツナギのポケットに手を突っ込んだまま、息を乱さず先輩は進んでいく。
 後輩の体感で一時間程、正確に言えば三分で、灯台の最上部への扉が見えてきた。管理人から預かっていた鍵を取り出した先輩の予想に反して、鉄の扉は半開きになっていた。
 中から絶えず吹いてくる風に乗って躑躅が舞い、光に包まれた視界を余計に不明瞭なものにしている。
 「灯台躑躅はそれそのもので植物の名前でな、灯台に似ていることから名前が来てるんだ。躑躅の花じゃないぞ」
 先輩は部屋の中に向かって、殆ど叫ぶように声をあげた。
 「なんですって」
 遅れて到着した後輩が、息も絶え絶えに蹲りながら聞いた。
 「お前に言ってるんじゃない。というかお前、若いんだからもうちょっと鍛えろよ。今階段のぼっただけだぞ」
 「いや、年齢は先輩とそこまで変わんないじゃないですか…うわっ、何だここ」
 息を整えながら漸く部屋を目にした後輩は驚いてひっくり返った。空間には、灯台の入口に積もった花とは比べ物にならない量の躑躅が落ちている。床一面覆い尽くされているので躑躅畑かと見紛う程だった。
 「お前、あまりここに居ないほうがいいかもな、耳がおかしいの、多分花粉だろうから」
 「花粉…?そう言えば、風邪かと思ってたけど、鼻もさっきからおかしいんです」
 「これだけ花に囲まれていりゃあな」

 結局、後輩は灯台の外で口を開いて、頂上部の先輩の仕事を仰いでいた。先輩はせめて夜になっても明かりが辺りに放たれるようにと、躑躅の花を上の部屋から空へと放している。あれ程多量にあった筈の濃い桃色が散り散りに、海に落ちていった。
 修理屋では二人で行動していたが、思えばいつも仕事をするのは先輩で、最終的には後輩は体育座りで眺めているばかりだった。何が起こったのかも分からず後から話を聞くこともしばしばだ。
 「今日のあれは何だったんですか」
 「無学な灯台の幽霊」
 しかし、先輩のそっけない語りを聞いてもよく分からないのもまたいつものことで、後輩は今日も落ち運ぶだけの重い荷物を抱えて、先輩の後をついて事務所に帰るのだった。





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