フリーワンライ136 「溺れる港」




 決死の覚悟で港から海に飛び込んで、塩辛い水を飲みながらも愛を叫んだ男がいたという逸話からその名前がついたらしい。清水の舞台から飛び降りるとか、そういった覚悟を持って、体に溢れる情熱を持て余しすぎて実行してしまったというのだが、しかし、その男。
「でも、結局溺れてる訳?『溺れる港』ってことは」
「うーん、その辺はよく分からないんだよね」
 港が名所らしいから、と、言い訳をしながら私をここに連れてきた張本人は、しかしはっきりしない物言いだった。
「告白が無事成功して、港で待っていた女性と結ばれたとか、一旦は振られたんだけど、ショックのあまり溺れてしまったところを助けられて、その女性の人工呼吸で息を吹き返したとか…あとは」
「あとは?」
「…まあ、悪い結末にはなっていない筈だよ。こうやって観光地として宣伝までしている訳だし」
 歯切れの悪い言い方をして、縁に立てられた看板を指で示した。焦げ茶のペンキが剥げかけた木製のものだ。私の目線より少し下に白い文字が並んでいる。
 溺…る港。
 いやいやいや。
「これ、何も知らなかったらただただ物騒な字面だな。本当にそんな、縁結びにでも使われそうな逸話が残ってるの」
「残ってる残ってる」
 私は鼻から息を吐いて、あまり信用していないという意を示してみた。
 そもそも私たち以外に観光客など見当たらないのだ。漁船が疎らに停泊していて、遠めに呆やりと見える市場のそばでは、漁師らしき人影が作業をしているのが分かる。他に動くものといえば、獲物を狙っているらしい鴎や猫の通りかかる姿くらいで、これもよく目を凝らさないと分からない距離にある。
 二人きり、なのだ。
 そういえば、相手は今朝から様子がおかしかった。天気も下り坂だと、旅館の部屋のテレビが言っていたことだし、そもそも週明けに備えて早めに帰るつもりだったし、来た通りの順路を使えば良いと思っていた。しかし、どうしても寄りたい名所があると言って、この人は車の運転をかってでたのだ。普段滅多に提案などしないのに。温泉に行きたいと言ったのも、この地域の旅館を予約したのも私のほうだ。まさかそんな腹案があったとは、知る由もなかった。
 風が強くなってきた。灰色の空を仰げば、暗い雲が思いもよらない速さで流れている。
「嵐でも来るんじゃない?気が済んだら、もう引き上げようよ」
 私は風で立ったコートの襟を直しながら言った。
「ちょっと…待って。い、今飛び込むから」
「えっ、飛び」
 言葉の意味を理解する前に、海に向かって駆け出していた。
「待って」
 私は慌てて追いすがって、その腕を掴む。前につんのめったところを、綱引きでもするかのように引き込んだ。そのまま足を引っ掛けて倒す。
「痛い!」
 アスファルトの地面と背をぶつけて声をあげているが、自業自得だ。
 それにしても、良かった。私の足が早くて。
 俄かに体を動かしたせいで乱れた息を整えながらそう思った。
「何で今自殺しようとした」
 私が仁王立ちになって問い詰めると、相手は呆然とした。
「え…いや、話の流れで分かってよ。ここで海に飛び込んで君に告白すれば大成功間違いなしだろ」
「いや、普通に溺れるでしょ!波もたってきてるし危険だから。そもそも」
 今更告白も何もないだろう。二人で温泉旅行に来る間柄で。
 とは、余りに馬鹿馬鹿しすぎて言葉が継げなくなる。
 代わりに黙って手を差し出して抱き起こして、人工呼吸をしてあげることにした。

「…何だよ、そんな口をぱくぱくさせて。溺れてるみたい」






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