実験室から

#Twitter300字ss お題「空」





 トイレの壁、遥か頭上に取り付けられた正方形のサッシ窓。それが唯一、当時見ていた外の風景だった。澄んだ硝子の向こうは淡色で、僕は用を足しながらそればかり眺めていた。
 部屋に戻されると必ず絵の具で紙に再現をした。「しろ」をパレットに絞り出して、「あお」は少し置くだけ。紙は完全な真っ平らではないので単色にするのは難しい。ふやけた紙に筆を幾度も伸ばして色を広げる。一回行く度に一枚、薄い青色が増えていった。
 少しずつ様子の変わる紙を床に並べていたら、白衣のおねえさんは綺麗な水色ね、と言った。
 水?水の色は透明じゃないか、と言おうとして口を開けたけれど、声が出なかったので僕は視線を背けるだけにしておいた。






そんなもん

#Twitter300字ss お題「新しい」





「え、新嘗祭って春のお祭りじゃないの!?」
 行きつけのカフェで真正面に腰掛けている彼が声をあげた時、私は別れを決意した。
 全く、何でそう思ったのか。新嘗祭は秋の収穫祭だ。
「春じゃなくても、百歩譲って正月の祭りだろ」
 どこを譲ろうというのか。
「日本史の授業を聞かなかった人なんか私嫌い」
 カップを煽ってコーヒーを飲み干して言えば、彼は唇を尖らせた。
「俺もブラック無糖をがぶ飲みする女とか…」
 売り言葉に買い言葉。
「いい機会かも」
「じゃあ今日は別れて、また明日初めて出会ったように付き合おう」
 カフェを出て真反対の方向に足を踏み出した。
 翌日会う時には彼は堪らなく好きな人になってしまうのだから、我ながらおめでたい。





あやつり人形のあやちゃんと、ここから始まる攻防

#Twitter300字ss お題「人形」





 放課後に委員会を終えて教室に戻ると同級生が一人倒れていた。下の名も知らない女子だ。寡黙で、声を聞くのは授業で指名された時しかない。
 関わるのは面倒だ、早く帰りたい。が病気で死なれでもしたら寝覚めが悪い。
 迷っていると天井の板が外れて、顰め面の男が降りてきた。
「また糸が切れた」
 そう言って女子の体に細い糸を引っ掛けている。
「この事は言うなよ。ま、誰も信じないだろうけど」
 顔を上げもしないが目撃者に気付いている。
 作業を終えた男は跳び上がって天井に戻っていった。
 女子はぎこちなく立ち上がったが、すぐ人間のように歩いて教室から出て行った。

 翌日鋏を持って登校した。
 あの男は人形を奪われてもすぐには気づかないだろう。







万象試作品

#Twitter300字ss 「試す」





 妻が夭折した。
 犯罪者呼ばわりにも負けず、周囲の反対を押し切って入籍した割に別れは余りにも早く訪れて、こういう時は泣いたほうがいいのだと頭では分かっていたが呆然としてしまった。
 書斎の原稿用紙から埃を指で払って、インクを滲ませる。久々に書いた日記では彼女が生きていて、眉根を寄せて夜更かしばかりする僕を容赦のない言葉で窘めていた。ふと気配を感じて紙から顔を上げると、彼女の淹れた煎茶が湯気をたてている。
 僕は試しに新任時代の思い出を書いた。翌朝寝室の洋服掛けには学校指定のセーラー服が掛かっていた。彼女と出会った時のものだった。
 妄想だと言われても構わない。次こそ僕の試みは成功して、妻本人に会えるだろう。





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万象試行版』をざっくり300字に纏める「試み」

義父と

#Twitter300字ss 「贈り物」





 義父と一緒に義母の墓参りに行った後食べた定食屋の蕎麦は味がしなくて、今は慣れ親しんだ都心とは別の地方に居るのか、と改めて実感した。では義父の慣れ親しんだ味なのかと言えばそうでもないようで、疲れた顔で親子丼を食べている。背筋が曲がっていて張りがない。元々整っている顔も台無しだ。何が義父をこうしているのか。大方生前の義母からの罵倒だろう。
 見も知らぬ子供を育てなければならない二人はそうして均衡を保っていた。結局子供は必要以上に早く独り立ちして、義母は疲れ果てた。
 他人事のように考えていたら義母の遺品の話になっていた。大方義父が受け継いでいるらしい。が、何か欲しい物はないかと問われる。
 私は薬指をさした。