創作ワンライ「冬の始まり」

使用お題 全て(サクサク・枯葉小道・焚き火・ホットココア・「さむっ」)





「さむっ!?まだ秋だろうが…」
 彼は昇降口から出るなり身を震わせると、学ランの襟に首をうずめて足を速めた。晴れる気配のない分厚い雲の灰色の下、容赦なく北風が吹いて長身の彼を襲う。ポケットに手を突っ込んでまさぐるが、指に当たったのは冷たくなった使い捨て懐炉だけだったので思わず舌打ちをした。
 いつもの溜まり場なら電気ヒーターが置いてあるし、プレハブだが、少なくとも屋内なので風はない筈だ。温かみが恋しくなり思わず駆け出しそうになったが、普段からなるべく堂々と、見ている者を威圧するような歩き方が出来るよう研究してきた体はせかせかとした動きを躊躇してしまう。
 この季節だけ、彼は自分が好んで着用している長ランを得に思った。勿論校則に沿ったものではない。この高校では、品行方正な大人の言うことは破るために存在している。制服を規定通りに着ている生徒のほうが少数派だった。彼の世界ではまだ、それこそが正しいと信じられていた。
 校舎から、彼等が占拠しているプレハブの元部室までは校庭脇の道を歩かなければならない。夏には青葉を生い茂らせていた並木は枯葉を散らしている。舗装された小道が見えない程だ。ローファーが黄色や枯茶の層を踏みしめて、水分のないサクサクという音をたてている。
 彼の足音に混じって、ザッ、ザッという葉の擦れ合う音が耳に届いた。てっきり同級生や後輩たちは元部室に引きこもって暖を取っていると予想していたが、数人がプレハブの前で竹箒を動かしている。
 真面目に校内の清掃などした試しがなかったのに。
「どういう風の吹き回しだ?」
「あ、副番長」
 彼が少し笑いながら声を掛けると、後輩の一人が箒を引きずりながら駆け寄ってきた。立ち止まってポケットから煙草を咥えると、後輩は何も言わなくともライターの火を点けてくれる。黙って立っていれば中々気迫がある厳つい顔立ちの後輩だが、自分たちの縄張りでは年相応に表情を崩す。
「今日冬かって位寒いじゃないっすか。で、溜まり場の周りの葉っぱも邪魔なんで。焚き火でもしようぜって話になったんす」
「焚き火? 葉っぱだけで点くのか」
 彼が煙を吐きながら問うと、後輩はきょとんとした顔を見せた。眉毛がないので中々愛嬌がある。
「え?」
「ちゃんと炎起こしたいんだったら、薪とかいるだろ」
「え?」
「え?」
 勇んで箒を動かしていた連中が必死になってライターで枯葉を焦がしているのを尻目に、彼は燃えそうな新聞紙を探すために部室の戸を引いた。
「だからやめとけって言ったんだよ俺は。あじとが燃えたらどうすんだ」
 と、中から声が響いて、出てきた影とかち合いそうになる。
「番長…」
 後輩の一人が情けない声を出した。
「何だ、居たのかよ」
 彼が声を掛けると、番長はふんと鼻を鳴らした。
「当たり前だ、喧嘩で動き回るならまだしも、今日みてえに寒くて外に居られっかよ」
「その格好なら尚更だな」
 彼は入口すぐに置かれた灰皿に煙草を押し付けると、番長のエプロン姿を揶揄した。他校のライバルたちには絶対に見せられないさまだ。
「仕舞われてたカセットコンロ、火点いたからな。ホットココア作ってたんだ。お前らも入って飲めよ」
 番長は外では見せないような柔らかい笑顔で促して、部室内を顎で指した。
 焚き火は今度でいいか。
 彼も相伴に与ろうと、いち早く電気ストーブの前に陣取った。
 冬の始まりを彼等と共に過ごす喜びを噛み締め、この時間に終わりがあるのだということをどこかで自覚しながら。
 プレハブの校舎に隙間風が吹き付けてびゅうびゅうと音をたてている。






『Goodbye in '95』番外 霧島に焦点を当てて

創作ワンライ「金木犀」






 目を覚ました場所が井戸の底であると気が付くのには数秒かかった。見上げると、真っ暗の真ん中に穴が空いていて星が瞬いているのが見える。月明かりでもあれば幾らか辺りの状況も分かるだろうが、角度が悪いのか、はたまた今夜が新月なのか、光源となるものがなく甚だ心許ない。
 僕は起き上がって、確かに土が掌に触れるのを感じた。そうだ。この井戸は枯れているのだ。僕はその事実を知っていて、そして落ちた。
 何故無事なのだろう。僕はその場に立ち上がって腰を捻ったり伸びをしてみたりしたが、特に怪我をしたような痕跡も見受けられない。
 と、言うことは。
 この上の地上に次にいつ人が来るか僕は知らない。
 つまり。
 ここで飢えるまで座って空を見上げながら待てということだろうか。そう神様が言っているのだろうか。
 無神論であるにも関わらずそんなことを思って、僕は渇いた土の上に座り込んだ。
 井戸は、昔から怖かった。
 年端も行かない頃に読んだ小説が原因だった。当時、少年少女や探偵が大活躍して犯罪に立ち向かう探偵小説を好んで読んでいた僕は、同じ作家が書いているという理由でその短編にも手を出した。正直なところ細部には理解出来ない言い回しも多く頭を捻りながら読み進めていたが、最後の場面になると僕は震え上がった。
 読んでいる場面が目の前で再生されるような感覚を覚えた。僕は実際にその場面を音で聞いた。
 男が落ちるのだ、井戸に。
 妻に全てを許すと告げて。
 身を投げるのだ。
 僕の耳をひゅんと風が切る。僕の足元で、地面と人がぶつかる音がする。
 その夜幼い僕は眠ることが出来なかった。
 ごお、と音がして僕は回想を止めた。外では強い風が吹いているらしい。井戸の底にまで、微かに金木犀の香りがしてくる。幾ばくも経たないうちに、ぱらぱらと何か細かな粒が井戸の中にも降り注いできていることに気が付いた。何となく差し出した掌にも乗ったので、暗いながらも仔細に観察してみれば、どうやらそれは金木犀の花弁であるらしい。形というよりはやはり匂いが頼りになったが。
 はて。
 近くに金木犀の木など生えていただろうか。
 いや、井戸に落ちるまではそんなことには気付かなかったのかもしれない。
 それとも。
 金木犀も桜と同じように一斉に花を咲かせ、短期間で見頃を終える印象があるから、気絶していた間に変化していたのかもしれない。
 大体前後不覚になっていたのは何れ程の時間だったのだろう。日が暮れているので半日程度かと思ったが、もしかすると数日経っているのか。
 それにしても、この体の丈夫さは何なのだろう。僕は生まれつき貧弱なほうであった筈なのだが。数米飛び降りても怪我一つなく、長い間眠りこけていたがさして空腹も感じない。
 まさか、自分が気が付いていないだけで本当は。と思ってあたりを見回したが、僕の肉体はどこにも見当たらず、この両手が、両足が胴体が頭が、紛れもなく僕の所有物だと分かる。心臓も均一の脈を刻んでいるし、確かに呼吸もしている。
 では何故。
 僕が不可解に思っていると、くすくすと笑う女の声がした。いや、女などと他人行儀な言い方をしてはいけない、知っている声だったが、ここにはいる筈のない声だ。
 ふと目を向けると、そう遠くない位置に人影が見えた。多分僕と向かい合わせになるように、井戸の側面に背をつけて正座で座っているのだろう。僕のことを真っ直ぐ見据えているのが、暗闇なのに何故か分かった。
 ああ、なんということだろう。あの小説では妻を残して夫が井戸に落ちるのに、僕はやはり彼女に会うために井戸に落ちたのだ。
 彼女は橙色の着物を着ている。初めて見た柄だ。まるで金木犀のような。
 「限りがあるとは言え、折角まだ猶予がありますのに…何でいらっしゃろうとしたのですか。本当に無駄な、何の得にもならないことをなさいますね。小さい頃からちっとも変わらない」
 ここまで彼女が言って、僕は彼女が本当の彼女であると確信した。
 僕は彼女の名前を呼ぶ。
 「…会いたかったよ」
 彼女はふいとそっぽを向いた。
 「私は途中で投げ出して来るような腑抜けとは会いたくはありませんでした」
 「会いたくないも何も、こうやって来てくれたじゃあないか」
 「だって仕方ないじゃありませんか。やっと目を覚ましたら貴方が間抜けなことをしようとしていらっしゃるんだもの。誰だって喝を入れたくなるでしょう」
 「君がいなくなってから、僕に喝を入れる人なんか居なかったよ。誰も彼も僕を気遣ってくれた。そんな親切心からか強く励まされたりもして…その人なりには僕を奮起してくれていたのだろうけど…僕はもう駄目だったんだ」
 「そんなこと聞きたくないわ。ねえそんなことより、貴方この上に生えている金木犀を家に移してくださらない?私やはりあの庭のほうが落ち着くの」
 「ああ、君の言うことなら何でも聞くよ。でもそのためには、ここから出なくてはならない」
 不思議だ。僕はこの井戸の底で終わらせることしか考えていなかったのに、彼女のような何かの言葉を貰うだけでそんな意識があったことすら失念してしまいそうになる。
 「それくらいはご自分でなさって。私貴方が落ちたとき下敷きになったことが精神の上で苦痛で仕方なくって、もう力が出ないわ」
 「ごめんね、ごめんね」
 僕は謝りながらも、彼女を失ってから初めて、明日のことを考え始めていた。
 さて、まずはどうここから脱出するかだ。