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フリーワンライ140 「水仙の鏡」

舌で舐めとる恋の味/「おちて、おちて、おちて」/鏡の中の





 お見合い結婚でしたので、あの人の本来持ち合わせている性根といいましょうか、性格を与り知ることはなかったのですけれども、本当はとても善良な方であったとの声は方々から聞きました。他人の気持ちを推し量ることの出来る方で、そして掛ける言葉は百合の花弁を指先で撫でるときのように柔らかく、そのため沢山の方から慕われておりました。
 あの方が皆様の噂通りの姿で私と生活を共にしておりましたのは最初の数週間だけのことでしたので、私の不甲斐ない記憶力ではもう、その後の陰惨な日々ばかりが蘇ってくるばかりで御座います。
 切っ掛けは六月十八日のことでした。日記にもそう残してあります。
 私の我が儘で、あの方に姿見のおねだりをしたのが始まりです。
 そうです、全ては私の所為なのです。
 嫁入り道具に小さな、それこそ身の丈に合った鏡台は持ち込んでいたのですが、新しく設えた着物をどうしても眺めたくなったのです。全身を映すとなれば、それまでは縁側の硝子障子の前に立って朧げな影を捉えるか、写真館にでも行って写していただくか位しか選択肢は御座いません。そう言うと、あの方は優しく微笑んで直ぐに手配をしてくださいました。
 数日も経たずに家に届いたのは、水仙の彫り物が周りの木枠に施された、風変わりな姿見でした。
 こんな装飾、見たことがない。
 あの方は興味深そうに枠を指でなぞって、それから一点の曇りもない鏡を覗き込んでおりました。私はその後ろ姿を微笑ましく眺めたものでした。あの方が二人に増えたら、こんなに素敵なことはないですもの。この世が持つ至宝が二倍に増えるのですから。そして両手に花、もとい、両腕であの方と腕を組めれば、幸福感でどうにかなってしまいそう。
 そんな愚にもつかない空想をしていると、鏡の中のあの方が一瞬だけちらりとこちらをご覧になりました。鏡のこちら側にいるあの方は上辺の水仙に目を取られているのに、鏡の中の視線は真っ直ぐに私を捉えておりました。いつも私に向けられるような柔和な笑みではなく、ひとかけの笑いもない、感情をなくした顔でした。
 私は何が起こったのか未だ理解していなかったのですけれども、反射的に半歩下がっておりました。それから今見たものが確かに不気味なものであったとようやく認識して、ずっと黙り込んでいるあの方の名前を呼びかけました。
「おちて、おちて、おちて、おちて」
 それは私への言葉では御座いませんでした。けれど、最後にこちらに向けられた言葉であったように今では思われます。
 その言葉は鏡の中から響いて、そしてあの方に反響しているようにも聞こえました。
 それからあの方は命を落とすまで、一度たりとも鏡の中のご自身から目を離すことは御座いませんでした。私の力でも、町の男たちの力でも引き剥がすことは出来ず、あの方は狂ったように鏡に、いえ、鏡の中のあの方の姿に見蕩れてしまっておりました。私がどれだけ泣いても、食事を摂ることもなく、排泄時も鏡の前から離れることなく。鏡の中のあの方を口説いては、放心したように眺め、そして鏡に口付け、鏡の中のあの方に舌を這わせております。あの方は鏡の中のあの方に恋をしているのです。
 全ては私の責任なので御座います。私が我が儘を言ったり、身に余る妄想をしてしまったせいなのです。せめてもの罪滅ぼしに、私はずっと傍に居ることを誓いました。

 奥の間にあの方は未だ居ります。興味がおありならご覧になってください。もう百年もずっと同じ体勢で、鏡を覗き込んでおりますので。





フリーワンライ136 「溺れる港」




 決死の覚悟で港から海に飛び込んで、塩辛い水を飲みながらも愛を叫んだ男がいたという逸話からその名前がついたらしい。清水の舞台から飛び降りるとか、そういった覚悟を持って、体に溢れる情熱を持て余しすぎて実行してしまったというのだが、しかし、その男。
「でも、結局溺れてる訳?『溺れる港』ってことは」
「うーん、その辺はよく分からないんだよね」
 港が名所らしいから、と、言い訳をしながら私をここに連れてきた張本人は、しかしはっきりしない物言いだった。
「告白が無事成功して、港で待っていた女性と結ばれたとか、一旦は振られたんだけど、ショックのあまり溺れてしまったところを助けられて、その女性の人工呼吸で息を吹き返したとか…あとは」
「あとは?」
「…まあ、悪い結末にはなっていない筈だよ。こうやって観光地として宣伝までしている訳だし」
 歯切れの悪い言い方をして、縁に立てられた看板を指で示した。焦げ茶のペンキが剥げかけた木製のものだ。私の目線より少し下に白い文字が並んでいる。
 溺…る港。
 いやいやいや。
「これ、何も知らなかったらただただ物騒な字面だな。本当にそんな、縁結びにでも使われそうな逸話が残ってるの」
「残ってる残ってる」
 私は鼻から息を吐いて、あまり信用していないという意を示してみた。
 そもそも私たち以外に観光客など見当たらないのだ。漁船が疎らに停泊していて、遠めに呆やりと見える市場のそばでは、漁師らしき人影が作業をしているのが分かる。他に動くものといえば、獲物を狙っているらしい鴎や猫の通りかかる姿くらいで、これもよく目を凝らさないと分からない距離にある。
 二人きり、なのだ。
 そういえば、相手は今朝から様子がおかしかった。天気も下り坂だと、旅館の部屋のテレビが言っていたことだし、そもそも週明けに備えて早めに帰るつもりだったし、来た通りの順路を使えば良いと思っていた。しかし、どうしても寄りたい名所があると言って、この人は車の運転をかってでたのだ。普段滅多に提案などしないのに。温泉に行きたいと言ったのも、この地域の旅館を予約したのも私のほうだ。まさかそんな腹案があったとは、知る由もなかった。
 風が強くなってきた。灰色の空を仰げば、暗い雲が思いもよらない速さで流れている。
「嵐でも来るんじゃない?気が済んだら、もう引き上げようよ」
 私は風で立ったコートの襟を直しながら言った。
「ちょっと…待って。い、今飛び込むから」
「えっ、飛び」
 言葉の意味を理解する前に、海に向かって駆け出していた。
「待って」
 私は慌てて追いすがって、その腕を掴む。前につんのめったところを、綱引きでもするかのように引き込んだ。そのまま足を引っ掛けて倒す。
「痛い!」
 アスファルトの地面と背をぶつけて声をあげているが、自業自得だ。
 それにしても、良かった。私の足が早くて。
 俄かに体を動かしたせいで乱れた息を整えながらそう思った。
「何で今自殺しようとした」
 私が仁王立ちになって問い詰めると、相手は呆然とした。
「え…いや、話の流れで分かってよ。ここで海に飛び込んで君に告白すれば大成功間違いなしだろ」
「いや、普通に溺れるでしょ!波もたってきてるし危険だから。そもそも」
 今更告白も何もないだろう。二人で温泉旅行に来る間柄で。
 とは、余りに馬鹿馬鹿しすぎて言葉が継げなくなる。
 代わりに黙って手を差し出して抱き起こして、人工呼吸をしてあげることにした。

「…何だよ、そんな口をぱくぱくさせて。溺れてるみたい」






フリーワンライ119 「綿飴のような恋心」






 あの街の西端にある洋館に棲むあのお嬢さんはまた婚約を破棄されたらしい。
 我々は彼女の不思議な境遇の謎を探るべく、彼女の奥地へと足を踏み入れた。
 閨房、である。
 取材に応じてくれたお嬢さんは実年齢の割には大人びて見えた。それはひょっとすると、部屋の調度の所為もあるかもしれない。洋館に相応しい広い面積のベッドにかかるシーツは桃色よりも落ち着いていて、細やかな花柄があしらわれている。だがお嬢さんその人の所作、具体的に挙げるならばその視線、佇まい、椅子に腰掛けた姿勢、顎に当てた人差し指と中指、ティーカップをまるで重いものであるかのように持ち上げる所作、紅茶を啜る音のない音が、神秘を纏っている証拠のように見えてくる。
 朝食はいつもこの部屋で摂っているのですか。
 当たり障りのない話題から持ち掛けてみる。
 「他にもっと聞きたいことがあっていらっしゃっているのでしょう」
 お嬢さんは目を伏せたまま静かに言った。長い睫毛が、窓から射し込む夕日を浴びて橙色に煌めいている。
 では。
 単刀直入に訊いてみる。
 何故、なのかと。
 「まず訂正させていただきたいのは」
 彼女は目を見開いて、しかし、こちらには一切視線を寄越さずに言葉を紡いだ。
 「結婚をお断りしたのはこちらから、ということです。今回だけではありません。貴方がご存知のわたくしに関するかつての婚約も全て、こちらからお断りしたものなのです」
 何故。
 「わたくしの恋心は綿飴なのです」
 何故。
 「続きは明日にいたしましょう。それまでに貴方なりに答えを用意して頂戴。明日の午後四時にまた、屋敷の門のところにいらして」
 お嬢さんはそれだけ言ってしまうと、目を閉ざして紅茶を啜った。その日はそれきりで、まるで我々が居ないかのように振る舞い始めたので閉口した。

 「舌で触れると、甘味だけを残して消えてしまうでしょう、綿飴は」
 答えを述べないうちから、何故回答を始めてしまうのだろう。
 翌日の午後四時、我々はお嬢さんの気まぐれの秘密を探るべく閨房へと足を踏み込んだ。
 「殿方の味が分かると、もう興味がなくなってしまって」
 猥談ですか。
 「そんな意味深な話ではございません。わたくしは未婚ですよ。…ただ、舌で触れるだけ」
 彼女は物憂げなまばたきをしている。
 「この前のお方は、まさしく綿飴のように甘かった。でもそれきりよ。味わったら最後、それきり何もかも、感情が消えてしまって。相手が見えなくなってしまうの」
 つまり、結局結婚するつもりはないと?
 「しないのではなくできないのです。どうしても、舌で触れたくなってしまって、我慢ができなくなって」
 吸血鬼のようだ。相手に恋すれば恋する程、相手の血を吸って相手を追い詰めてしまう。
 そう声を漏らすと、お嬢さんはくすりと笑った。
 「意外に陳腐なことをおっしゃるのね。でも、吸血鬼なんて見出しはやめて頂戴。見出しを決めたら明日の午後四時にまた、屋敷の門のところにいらして」
 我々はお嬢さんに気に入られた可能性に思い至って戦いた。いずれ彼女に舌で触れられて、跡形もなく消え去ってしまうのだろうか。
 それでも良いと、我々のうち一人は述べていることをここに報告する。





フリーワンライ110 「ちょっとした絶望」

一口だけ/音信不通/本当は知ってた/千年の空/立つ鳥あとを濁さず





 「一口だけ頂戴」
 あの子の口癖はと聞かれればこう答えるしかなく、彼は眉根を寄せるのだった。
 「だって、強請るなんてあまり品がないじゃないか」
 彼は拗ねたように言う。しかしそれが上品下品を基準とした感情ではないことは、言った本人も、聞いた相手も分かっている。
 あの子はもう彼の前には現れないからだ。
 だから、彼は不機嫌になっているのだ。
 あの子が居なくなったのはつい一昨日のことだった。
 彼が夜更けに仕事から帰ると、今朝まで生活感に溢れていた2DKのアパートは自棄にだだっ広く広く広がっていた。家具がなかった。その上物件サイトや不動産屋で見る写真のように、小綺麗だった。
 果たしてフローリングはこんな色であっただろうかと、彼は驚くよりもまずそんなことを思った。
 それから帰る部屋を間違えただろうかと慌てた。
 いや、そんな筈はない。数十年前ならともかく、アパートの部屋は一つ一つ違う鍵が当てられている。
 部屋を歩き回る自分の足音が彼の耳についた。段々荒くなっていく息遣いが、漸く彼を慌てさせた。
 唯一あった物体、床の隅に追いやられていた彼の縒れた下着を目にした時、恋人に逃げられたのだと、あまりにも陳腐で、あまりにも悲しい失恋の事実に思い至ったのだった。

 「立つ鳥あとを濁さず、か」
 彼の話を聞いていた相手は少しだけ面白がっている風だった。あの子と入れ替わるように上がりこんできた相手は、何もない部屋で、彼とあの子が嘗て生活を重ねた場所で缶ビールを煽っている。冷蔵庫もないので、近所のコンビニから買ってきたばかりのものを開けていた。部屋の主である彼は咎めこそしなかったが、部屋の隅に踞って恨めしげに相手を見ている。
 「いくら電話をかけても、メールをしても繋がらない。音信不通だ。でも…本当は知ってたんだ。あの子が…」
 うう、と、彼は言い終わらないうちから嗚咽を漏らした。
 「いいじゃないか」
 ビールで頬を染めた相手は、今度は笑みを漏らした。
 「あの子が無事に避難出来たんなら、さ。家具も売ってお金に出来たんだろうし」
 「そりゃあ、そうだが」
 彼は鼻を啜ってから言葉を継いだ。
 「でも、俺たちは真剣に仕事してるっていうのに…地球だって救われるかもしれないのに」
 「賢明な奴は避難するだろうさ。誰もこんな、いつ大気がなくなるか分からない星には居ないだろ」
 「千年ぶり、だったか」
 「ああ、空が落ちてくる。お前の顔も見納めだ」
 「お前は失敗すると思っているのか、俺たちのプロジェクトが」
 「ああ思うね、賭けてもいい。だから飲み納めしてんだ」
 信じられないという具合に目を見開いた彼の黒い瞳を切り裂くように、一筋の彗星が降り注いだ。
 屹度彼は最期の瞬間もあの子を想うのだろうと想像して、相手はビール缶を潰した。






フリーワンライ109自主練 「真夜中の訪問者」






 かたり、と音がした。
 窓の方からだ。
 掌で目を覆っていた私はなるべく訝しく思っている風に見えるように注意を払いながら顔を上げて、ゆっくりと立ち上がった。尤も、部屋の中には私に目を向ける人間などいないのだけれど。
 静かなものだ。
 家人は別室で寝ているし、この書斎には内側から鍵を掛けている。昼間騒がしく鳴いていた蝉は皆消えてしまったのかと疑りたくなる程その存在感を消し去っていて、その代わり虫の声がりんりんと遠くから響いてくる。
 秋が近付いているということだろうか。
 いや、それは当たり前のことだ。
 夾竹桃のあしらわれたカレンダーを捲ってから数日経ったし、何より、窓の方から音がした。
 極めて硬質で、素っ気ない一音。
 知らない人が聞いたら、聞き間違いか、庭の木の実か何かが落ちて窓硝子にでも当たったのか、と勘違いするかもしれない。だが私の耳に入ってしまったのだから、それは別の意味を持つ音になってしまう。
 一歩二歩と窓に近付いていく。嗚呼、今夜は月が綺麗だ。真円ではないが、ぴかぴかと光って家人が趣味で作り上げた庭を照らしている。昼間とはまた違った趣で、青白く染め上げている。
 だから、音の正体がはっきりと見えてしまう。
 窓辺に立つまでもなかった。私の目にはそれが映っていた。
 何、と聞かれれば答えに窮してしまう。何故なら窓枠越しに見えるのは極めて非現実的なものであり、脈絡がなく、私がその存在を認めればすぐさま消えてしまいそうだ。
 だから認めたくない。

 しかし、これが見えてしまっているからこそ、ああ、私が彼女を殺してこの庭に埋めたのは四年前の今日だったなと、実感する。





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